「きみは演歌がいいね!」 北島社長の一言で演歌歌手に
■今年の7月にはデビュー40周年を迎えるそうで、おめでとうございます。
ありがとうございます。いつかは故郷の大分に帰る日が来るのだろうと思いながら、気がついたら40年。きっと演歌を唄わせていただけたから、今も唄っていられるのかもしれませんね。
■松原さん自身は、演歌歌手でなくてもよかった?
ええ。歌手になりたくて北島事務所に送ったデモテープには、『北の宿から』や『津軽海峡・冬景色』の他に、伊藤咲子さんの『乙女のワルツ』や山口百恵さんの歌も入れていました。でも、当時は事務所の社長でもあった北島三郎さんが私の顔を見て、「きみは演歌がいいね」と。その一声で演歌歌手としてデビューすることになりました。
■デビュー曲『おんなの出船』をいただいた時は、どう思いましたか?
まだ10代だったので、こんな大人の楽曲を唄えるかなと心配でしたが、作曲された船村徹先生は、そのギャップが印象に残ると考えていたようでした。そのうえで、「歳を重ねるにつれてしっくりくる歌になるから、今は背伸びして唄わなくていいよ」と。レコーディングの時も「何回も唄うとクセがつくし、子どもらしさがなくなるから、3、4回唄ったらもういいよ」と言われたのにも驚きましたね。
悩み過ぎてトラウマになった『演歌みち』と『蛍(ほたる)』
■『男なら』では、男歌にも挑戦されていますね。
初めての男歌だったので、男らしさをどう表現するかで、とてもナーバスになりました。カラオケで男の人にも唄って欲しかったので、「意外にいいよ」という男性ファンの評判にホッとしましたね。
大月みやこさんが「私は普段、悲しい女を唄ってるから、酔った時には『男なら』を唄いたくなるのよね」と話してくださったのも、励みになりました。
■『蛍(ほたる)』では、今までにない優しい歌声でファンを魅了しました。
それまでは持っている声を全部使い切る、という唄い方をしていたんですが、『蛍(ほたる)』は言葉を置いて唄うというか、「10の力を7とか8くらいにして」と言われ、引いて唄うことを学んだ曲です。
今でもコンサートで唄う時には、もっとああすればよかった、こう唄えばよかったと思いますね。
■20代での『演歌みち』も、年齢的に早かったのでは?
この時はシングルを3枚同時リリ−スしたのですが、『演歌みち』は時間をかけて唄っていこうと考えていた楽曲でした。それが『演歌みち』を聴くと元気が出るという声が多くて、すぐに火が付いたんです。今でも『演歌みち』のような人生の応援歌を唄って欲しいという声が届くんですよ。
だからかな、唄って欲しいといわれる歌ほど、唄うのが怖いんです。『おんなの出船』『演歌みち』『蛍(ほたる)』と、“松原のぶえといえば”という歌はトラウマですね。当時よりうまく唄える自信がないんです。今でもこの3曲をコンサートで唄う時には緊張で、心臓がドドドッと波打つんですから(笑)
以前、大先輩の島倉千代子さんに、「のぶえは自分でうまく唄えたと思えた日はある?」と聞かれたことがあって。「ありません」と答えたら、「私もね、こんなに長くやっているのに一度も満足いく歌が唄えたことはないのよ。だから、のぶえが満足いく歌を唄えないのは当たり前で、日々、理想に近いように完璧に唄えるように、ずっと勉強だと思うのよ」とアドバイスいただいたことを、今でも思い出しますね。
腎臓移植を乗り越えて今も唄える喜びを実感
■新沼謙治さんとのデュエット曲『めぐり逢い赤坂』も話題になりました。
実は私、新沼謙治さんの大ファンなんです。『嫁に来ないか』をテレビで見た時、「嫁に行きたーい」と思ったくらい大好きで(笑)だから新沼さんとデュエットできると知って楽しみにしていたのですが、レコーディングも別々、ジャケット写真の撮影も別々でガッカリ(笑)
でもその後、『ふたりの大阪』もデュエットさせていただいて、ご飯やゴルフにも誘っていただけるようになりました。
■20周年には作詞にも初挑戦。
20周年だし作詞してみないかとディレクターに勧められ、かっこいい詞を書いてみたいと挑戦したのが『蒼い月』。処女作みたいなものなので、唄っていて恥ずかしい反面、気持ちよい部分もあり、それが忘れられなくて、今も唄っているところはありますね。
■30周年にはまさかの腎臓移植。歌手生命の危機でした。
子どもの頃から腎臓は悪かったのですが、もう治ったものだと思いこんでいました。そのため、気づいた時には「腎臓が2%しか動いてない。今日、病院に来なかったら死んでたか、脳にダメージを受けていた」とお医者さんに言われて大ショック。半年ほど薬で治療した後、透析を続けましたが、巡業先での透析がだんだん難しくなり、唄うこともあきらめかけていました。
そんな時、今の所属事務所の社長でもある弟が「松原のぶえから歌を取ったら何も残らないでしょう」と、腎臓を提供してくれて。手術が成功して、また唄えるとわかった時には、本当にうれしかったですね。
■波乱万丈の40年。振り返ると様々な歌を唄われて来ましたね。
そうですね。この『BEST80songs』を聴くと、今の私の歌声と昔の歌声との違いも楽しんでもらえるかもしれませんね。私自身のヒット曲や演歌のカバーだけでなく、ニューミュージックもカバーしているので、ぜひ聴いていただきたいですね。
文・構成:北井優子
松原のぶえ プロフィール
昭和54年7月『おんなの出船』でデビュー。
第21回日本レコード大賞新人賞をはじめ、数々の新人賞を受賞。
以後、『演歌みち』『男なら』『蛍(ほたる)』など数々のヒット曲をリリース。
昭和60年には『NHK紅白歌合戦』に初出場を果たし、通算7回出場。
昭和64年『維新のおんな』でレコード大賞・第1回美空ひばり賞を受賞。
平成30年5月『松原のぶえ名曲を唄う BEST80Songs』をリリース。
7月には北島三郎作詞・作曲による40周年記念シングルをリリース予定。
松原のぶえ 80曲を収録したスペシャルボックスが遂に完成! 2018年7月にデビュー40周年を迎え、芸に歌にと磨きのかかる松原のぶえ。 オリジナルヒット曲とカヴァー曲、合わせて80曲の名演、名曲を厳選して収録したコンプリートBOX。松原のぶえ、コロムビア在籍時代の25年間の集大成ともいえる作品です!!
●制作:日本コロムビア