米山正夫 生誕100周年 下巻 関東春雨傘・三百六十五歩のマーチ
- 発売日:
- 2012年10月03日
在庫 | ○ |
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規格品番 | CRCN-41115-7 |
通販品番 | D9811 |
JANコード | 4988007251686 |
ディスク枚数 | 3 |
商品詳細
北島三郎・西郷輝彦・水前寺清子ほか、クラウンを代表する歌手が歌った至高の米山作品を60曲収録。
収録内容
DISC-1
- 関東春雨傘 / 美空ひばり
- 恋人をさがそう / 西郷輝彦
- 海は青かった / 美樹克彦
- その一言を待ってます / 水前寺清子
- われらの友情 / 山田太郎
- いたずらっぽい目 / 由美かおる
- 先生さようなら / 葵ひろこ
- 恋のティー・パーティー / 守屋浩、ヤングピンボンズ
- 悲しきエレキ小僧 / 飯田久彦
- 青年おはら節 / 西郷輝彦
- 青空に叫ぼう / 山田太郎
- 仲よし三人お友達 / 後藤久美子
- そよ風デイト / 高石かつ枝
- その時僕は泣いていた / 星山幸夫
- 昼は友達 夜は恋人 / 三ツ木清隆
- 恋のGT / 西郷輝彦
- 悪かったのは君なんだ / 高木たかし
- 愛の夜明け / 斉藤昌子
- 君は青空を見たか / 水前寺清子
- 花はおそかった / 美樹克彦
DISC-2
- 涙をありがとう / 西郷輝彦
- おんなの朝 / 美川憲一
- いつでも君は / 水前寺清子
- 兄妹の星 / 西郷輝彦、水沢有美
- 祭りのあと / 渥美清
- みれん町 / 美川憲一
- ネオン化粧 / 美川憲一
- とめどなく / 朝丘雪路
- チェリーピンクのお月様 / 三浦布美子
- ポルノ小唄 / フランキー堺
- ハイウェイの口笛 / 里見浩太朗
- 駅弁唱歌 / 渥美清
- さめてしまえば / 加茂さくら
- アカシアの街札幌 / サザンクロス
- 抱擁 / 倍賞美津子
- 霧 / 石橋正次
- 幸せよここまでおいで / 三田佳子
- 女の旅路 / 真咲よう子
- 親なしかもめ / 鳥羽一郎
- 兄弟ギター / 北島三郎
DISC-3
- 三百六十五歩のマーチ / 水前寺清子
- 真実一路のマーチ / 水前寺清子
- 初恋によろしく / 西郷輝彦
- 赤いトラクター / 小林旭
- 潮風が吹きぬける町 / 西郷輝彦
- 北鎌倉の午後 / 栗原小巻
- 女優 / 笹みどり
- 裁き / 美川憲一
- 無国籍者の唄 / 小林旭
- 口笛の凍る町 / 小林旭
- 涙のかけら / 朝丘雪路
- 寅さん音頭 / 渥美清
- カープ讃歌 / 若山彰
- 恋人は君ひとり / 山岡英二
- 人生ホームラン / 山岡英二
- 振られ道中 / 里見浩太郎
- ある少尉の遺言 / 東海林太郎
- ブライダルベール / 藤山一郎
- 爽やかに熱く / 藤山一郎
- 夜明け / 北島三郎
全曲ステレオ録音
※古い音源を使用しておりますので、一部にお聞き苦しい箇所があります。ご了承ください。
米山正夫のあゆみ
1912年(大正元年) 10月3日、東京・原宿に生まれる。
成蹊中学・同高校に進むが、音楽への道をあきらめきれず、東洋音楽学校(現東京音大)に転入。
1934年(昭和9年) ピアノ科を主席で卒業し、藤原義江のピアノ伴奏等で修業を重ねる。
同年、SKDスター江戸川蘭子の歌、作詞、作曲による「春の謳歌」でデビューをはたす。
1936年(昭和11年) ポリドールレコードの廉価盤だったコロナレコードのピアノの伴奏者となるが、コロナレコードが成功したことから、
専属作曲家となる。
1942年(昭和17年) 高峰秀子の歌で「森の水車」を発売するが、当時の軍部によって、敵性歌謡と見なされ、発売禁止となる。
1944年(昭和19年) 満州国に渡り、中央放送局勤務となる。
1945年(昭和20年) 敗戦と同時にシベリアに抑留され、翌年12月に帰国。
1948年(昭和23年) 近江俊郎歌唱で「山小屋の灯」がNHKラジオ歌謡で大ヒットとなる。
この作品に続いて、近江「南の薔薇」、荒井恵子「森の水車」などヒットが続き、著名作曲家となる。
その後、コロムビアレコード専属作家となり、美空ひばりと出会う。「リンゴ追分」「花笠道中」「車屋さん」
「津軽のふるさと」等、ひばりのヒットを数多く作曲する。また、ひばりの出演する映画を始め、
映画音楽を数多く手掛けたのも、この前後である。コマーシャルソングでは、ヤンマーディーゼルの
「ヤン坊マー坊の歌」を手掛け、ロングランとなる。
1963年(昭和38年) クラウンレコード創立時に同社に移籍し、水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」、美樹克彦「花はおそかった」、
西郷輝彦「初恋によろしく」など多くのヒットを放った。特に「三百六十五歩のマーチ」は、昭和44年度の春の
選抜高校野球大会の入場行進曲にも選ばれた。
1981年(昭和56年) 紫綬褒章を受賞。
1985年(昭和60年) 糖尿病から肺炎を併発し、2月22日死去した。72歳だった。死去に際して勲四等旭日小綬章を贈られている。
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V.A.